自殺で保険金は出るのか
私は、おかしい。
なぜなら、人ができることができないからだ。
人と交流することが、できない。
いつからだろう、こんな悩みに支配されるようになったのは。
毎日毎日、輪の中で黙りこくってしまう自分に対して、「今に始まったことじゃない。こうやって生きていくんだ。」と慰めの言葉をかけて、なんとかギリギリ呼吸をできているような気がする。
なぜ仲良くなれないのか、言い訳じみた思いの丈を語り始めればキリがないが、一言で言えば、排除されるのが怖いからだ。
第3者から観察されていると思うと(社会ではそんなの当たりまえだが)、自分の弱みをさらしてはならない、と思ってしまい、眼前の相手との間に、誰も破壊することのできない鋼鉄の巨大な壁を作ってしまう。
そもそも、こんなことを考える時点で、対人関係の構築ができるわけがない、、
こんな思考の堂々巡りの毎日を送っている。
本題に入ろう。
自殺で生命保険金は支払われるのかについて。冒頭のように悩み始めたとき、大体は、「よし、死のう」という結論になる。
だが、そこで考えるのが、残された人の気持ちである。
社会的にも、親族的にも、私は消えた方が良いということは重々承知ではあるのだが、親と彼女にお金だけは残さねばならぬと、毎回思いとどまってしまう。
特に、彼女の顔を思い浮かべると、お金を残せなかったら、可哀想だ。
そこで、もし私が自殺したら、保険金は出るのか。
結論から言うと、「支払われる場合もある」である。
大前提として、保険法51条1号により「自殺による死亡保険金は支払う必要がない」と表記されている。
これは、尤もなことであるとも思う。
しかし、実際は保険会社ごとに、1~3年の免責期間が設定されているよう。
契約後、設定された免責期間を経過すれば、支払われることもあるそうだ。
保険金目当てでの契約を排除するための制度である。
では実際に支払われるかどうか、審査をする上で重要なポイントは何なのか。
ポイントは3つある。
1 保険金目当てでないか
2 告知義務違反をしていないか
3 犯罪行為をしていないか
3つとも、納得のいく内容である。
私は、すべてクリアしているので、安心して死ぬことができそうだ。
しかし、問題が1つある。
それは、本当に苦しい人は、こんな記事書いたりしていないだろうし、この記事を書いていることがわかれば、保険金目当てと結論づけられても文句は言えないだろうということだ。
生きるのは苦しい。もう少し歩き続けてみるとしよう。